短期カウンセリングのすすめ

短期間での解決を目指すブリーフ・セラピーのなかのナラティヴ・セラピーを中心にご紹介します

語りながら聖なる世界に至り、聖なる世界を生きるナラティヴ・セラピー

ナラティヴ・セラピーは新たな人生の物語を、語りながら作っていきます。そのカウンセリングのゴールはどこにあるのでしょうか? カウンセリングは終わらなくなってしまう可能性も含んでいます。ナラティヴ・セラピーのゴールは聖なる世界に至り、それを生きることです。


カウンセリングは、お困りの問題から解放されれば終わります。その場合は、また葛藤状態に陥る事も多いのです。


さらに述べます。





ナラティヴ・セラピーによりカウンセリングの多元的アプローチを実現する

現在カウンセリングでは、多元的アプローチが中心になり始めています。そもそも相談者に、一つのカウンセリングだけでは改善に向かう事は不可能です。そこで多元的アプローチの必要性が、求められています。


多元的アプローチとは、何か一つのカウンセリングを中心とします。従来はその一つのカウンセリングを、最初から最後まで進めます。ある意味、カウンセリング全体は見通せたものでした。


当然、見通しにそぐわないクライエントもいます。それをカウンセリングそのものの至らなさと考える視点も、現実には欠けてもいました。


今まで通り多元的アプローチとは、何か一つのカウンセリングを中心とします。だが協同的です。ここにクライエント中心の哲学は引き継がれてもいます。さらにはカウンセリングの混合主義でもありません。包括的なもの、クライエントを大きく包み込むものです。


カウンセリングの目的は、クライエントの望むものです。けっして学説が目的ではありません。カウンセラーや学説は後ろにさがります。さがる事が、前に出ることです。多元的アプローチはクライエント中心です。だがそれは古典的なクライエント中心療法ではありません。


精神分析療法を希望する人には、精神分析療法を行います。ただし前に進めなくなる時も
あります。


さらに述べます。

ナラティヴ・セラピーとカウンセリングの実際

現在ナラティヴ・セラピーはカウンセリングに2方向で取り入れられています。一つは補助的にナラティヴ・セラピーを用いる方法、もう一つはナラティヴ・セラピーを中心に置いたカウンセリングです。


前者として精神分析療法を考えてみます。フロイドはギリシャのエディプスの物語から学説を作り上げます。この学説にそって、精神分析療法を進めます。当然ながら、学問は進歩するもの。現在ではこのギリシャのエディプスの物語を、児童虐待の物語と読み解く学者もいます。ナラティヴ・セラピーではこの解釈的な方向はあまり評価していません。河合俊雄先生は精神分析療法の本質を、「転移」に有ると論じています。ナラティヴ・セラピーではこの転移的な方向は評価されています。


解釈的な方向はあまり評価されないのでしょうか?解釈的な方向は、精神分析家の見立てた物語になるからです。ナラティヴ・セラピーは語りに、いのちを吹き込みます。精神分析家の見立てた物語は、ナラティヴ・セラピーからいのちを奪ってしまいます。それでも精神分析療法が、自分の人生を物語る場を与えたことは評価されなければいけません。


自分の人生を物語る場を与えられた人は、感情をともない自分を語っていきます。この感情体験を中心に、ジェンドリンは体験過程療法を確立しました。それはクライエントの体験過程に、焦点を当てたものです。フォーカシングと呼ばれます。精神分析療法では、話の内容に軸足が置かれていました。だが体験過程では精神分析療法で見逃されていた、感情体験を追っていくのです。


ジェンドリンはロジャーズの後継者です。ロジャーズと同様に、自己概念に焦点を当てます。自己概念、「自分はどういう人間か」という事です。当然ながらこの自己概念、「自分はどういう人間か」という事に関しては物語る事、ナラティヴは必要です。さらに体験過程にもナラティヴは必要です。自己概念も体験過程もナラティヴによってまとめ上げられるからです。自分自身の物語として、自己概念も体験過程も与えられたものです。


この自分自身を物語としてまとめ上げ、物語る時に一定のパターンがあります。典型的なものは、ヒーローの物語です。現代社会には、英雄物語が無数にあります。ヒーローやヒロインになりたいのです。ヒーローやヒロインが行動規範になります。またはフロイドはギリシャのエディプスの物語のような問題提起です。どちらであっても、生きるためのガイドになります。


ただしこころの問題の改善には、あまり意味がありません。カウンセリングでの相談者の語りは、本当は多層的です。それをカウンセラーの作った自分の物語に、単層化しているとも言えます。単層化されたものは、多層的なものをとらえきれません。カウンセラーにより仕立て上げられた物語になってしまう可能性もあります。


ナラティヴにより自分自身の物語として、自己概念も体験過程も再形成されます。そのときに特に強調されなければいけないのは、感情の問題です。神経症傾向のある人は、気後れや罪悪感に苦しみがちです。それはナラティヴにより改められます。ナラティヴとはナラティヴによる語りです。


精神分析療法から対人関係の問題は、取り入れられるべきものです。それはクライエントが無意識的に行ってしまう役割であり、それに伴い他者に求める相補的な役割です。多くの神経症やノイローゼの人は受け身の姿勢を取りがちです。


他者に対するイメージが、その姿勢には潜んでいます。それは「拒絶される」であり「受け入れられない」です。そうやって他者を遠ざけてもいるのです。この悪循環は、その人にとって習慣化されています。


この人はこの物語を自分に語り、生きています。さらには他者にも語り、生きています。神経症の人はそれにより、自己増殖的悪循環に入りがちです。よってカウンセリングの目的は、新しい語りの構築です。このような一本の線に、人生の語りを位置付けていくことはとても分かりやすいものです。単一解が与えられるからです。


現在では精神分析療法のような長期の心理療法よりも、短期のブリーフセラピーが広まっています。その短期のブリーフセラピーは、この単一解を追求するものです。ただし精神分析療法のような長期の心理療法から、その人の人生の語りの全体像が把握されないという批判もあります。さらにはブリーフセラピーでは、カウンセリングの初期で単一解の見つからない人はカウンセリングが進めにくいということもあります。


なお精神分析療法のような長期の心理療法も、短期のブリーフセラピーも問題に焦点を当てたモデルです。この焦点化に異議を唱えるのが、解決に焦点を当てたモデルです。この解決に焦点を当てたモデルでは、カウンセラーをコンサルタントと呼びます。


コンサルタントは困難の解決の方法を、提示します。それに従い、相談者は解決を進めます。いまの困難に対する代案を提示するような、切っ掛けとなる方法をコンサルタントは
持っているのです。この様にしてコンサルタントは、問題解決をサポートします。


常に問題にフォーカスします。人によっては、場当たり的な印象を受けます。


さらに述べます。