短期カウンセリングのすすめ

短期間での解決を目指すブリーフ・セラピーのなかのナラティヴ・セラピーを中心にご紹介します

ナラティヴ・セラピーと認知療法の活用

お知らせ 2019年台風19号、北海道地震、東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。


現在ナラティヴ・セラピーと認知療法はそれぞれのなかに取り入れられ、活用されています。それぞれ補助的に取り入れられ、効果を高めています。


初期の認知療法は精神分析療法の影響が強いものでした。ある意味、精神分析療法の現実における応用とも言えます。精神分析療法は直期のものであり、現実にそぐわないものでもあったのです。


次の認知療法は行動療法の影響が強いものでした。認知療法だけでは、改善に向かいにくいのです。


現在では認知療法は構築主義に向かっています。認知的情報処理理論の進歩が、認知療法に影響を与えました。構築主義は認知的情報処理における、能動的な意味の形成に目を向けます。そこからナラティヴ・セラピーの発達と学習における言語使用に、認知療法は注目しました。


認知的情報処理理論では自分の外側の世界を、静止的に認知するとは考えません。動的な認知をモデルとして提示しています。私たちは現実を、意味の連鎖として動的に捉えるとするのです。その最終的な可能性を見据えて、認知します。


箸は、食べるものを挟んで口まで運びます。その一連の連鎖により認知は完了します。食事という行為が、その意味付けをします。これにさらに茶碗も加わります。茶碗が加わり、さらに意味付けされます。このように食事という一連の行為が箸も、茶碗も認知づけられます。さらに食後には手洗いと、意味付けの連鎖は広まります。


その連鎖の網の目を、私たちは生きていると言えます。その中で自分の物語を作り、他者に伝えています。これが認知の基本構造です。その基本構造をナラティヴなストーリーにより変容させます。新しいナラティヴの確立です。


その新しいナラティヴは強固なものでなければいけません。強固であるという事は、誰の視点から見ても妥当性があるという事です。広さを持っているという事です。客観性に裏付けられたものです。


ナラティヴは主なナラティヴと、それに従属するナラティヴからなっています。この関係に無理がないことも重要です。両者が矛盾しない事です。従属するナラティヴが無理なく主なナラティヴに遡行しうるものであることです。


これが再構築される新しいナラティヴの条件です。これを目指して再構築されます。ナラティヴは変化し、新しい柔軟なナラティヴに変わっていくのです。柔軟さが失われたのが神経症、ノイローゼ状態です。


固定化し、柔軟さの欠けたナラティヴを変化させます。これはその人にとっては、当然の行動を覆すような新たな視点を取り入れていくのです。その新たな視点から、新たなナラティヴを構築します。そのために固定化し、柔軟さの欠けたナラティヴは揺さぶられます。揺さぶりにより、ナラティヴは変化に動機づけられます。


揺さぶりに、質問を用いるのが新しいカウンセリングの特徴です。質問により、よりスムーズに問題解決に向かいます。その人の問題点を、質問によりあぶりだします。だからこそ、短期間でカウンセリングは完結します。ある意味、新しいカウンセリングは決められたコースがあります。このコースを進み改善します。解決指向のカウンセリングは、これが顕著です。その質問も決められています。


話を元に戻せば、固定化し、柔軟さの欠けたナラティヴを再構築します。抽象化され閉じ込められたナラティヴに、いのちを吹き込みます。神経症、ノイローゼ状態の人は柔軟さの欠けたナラティヴに支配されています。その結果、こころは不自由です。それを自由にします。こころの柔軟さを取り戻します。


こころは不自由さは抽象化に縛り付けられ、現実に踏み出せない状態です。具体的には「自分はダメだ、不完全だ」という抽象化です。この抽象化が、その人のすべてを支配しています。


抽象化はすべてに当てはまる可能性を持っています。その人のすべては、その抽象化により色づけられてしまうのです。「暗い灰色のこころ」のような表現がみられるように、抽象化により色づけられます。この抽象化は振り払うのが難しいのです。


その色づけられた抽象化を変えていきます。そうしなければ、非現実な考えに支配され続けます。先ず非現実性を解き明かします。認知療法による、現実の検証が求められます。そもそも神経症の人の現実認識は暗いものです。


先ずそれを解き明かします。そこにナラティヴを組み入れていきます。その時の葛藤を扱います。ただし組み入れるナラティヴには、それなりの意味を持ったものでなければいけません。


葛藤の接触面に取り入れる方法もあります。葛藤の接触面にナラティヴを取り入れ、変化を起こさせます。変化のためにナラティヴを用いるのです。


さらに葛藤の構築されるプロセスに、変化のためにナラティヴを用いる方法もあります。神経症的な葛藤は、認知療法の立場から考えると一定のパターンがあります。そこにナラティヴを挟みこみます。たとえば常に不潔感を訴える人がいます。その人は、不完全な感覚に苦しんでいます。


その人の不完全な感覚に、変化を起こすようにナラティヴを用います。例えば「今まで手洗いをふと忘れたことはありませんか?」のように、質問します。そうすると、誰でもそういう時はあるものです。


そこでふと気づきます。「そういえば、そういう時もあったな」と気づきます。だが多くの神経症的葛藤を持つ人は、それを否定します。「本当はそうじゃなかったのかもしれない」と考えます。これが不完全感の表われです。そこで「そう思わなかったら、どのような一日になったでしょう?」、こう問うのです。


これが葛藤の接触面にナラティヴを取り入れる方法です。現実と葛藤の接触面にナラティヴを取り入れ、変化を引き出します。その引き出したものを深めれば理想的です。多くの場合、葛藤によりこころは閉じ込められています。その扉を開けます。


この人は「今まで手洗いをふと忘れたことはありませんか?」の質問に、「そういえば、そういう時もあったな」と気づきました。だが否定的に考えました。この人もそうですが、否定的に考える癖がついている人は多いのです。


多くの場合、本当はそうじゃなかったのかもしれない」と考えます。この人もそうでした。このように考えることにより、迷路を抜け出せなくなっています。だがそれには無自覚です。それを自覚化しなければいけません。


そこで「いつも自分が間違えていると考えるんですね」と質問しました。このように神経症的な葛藤に生きる人は、「いつも自分が間違えていると考える」のです。それが抜け出さなければいけない迷路です。その迷路は、抜け出すべき迷路です。迷路をさまよっている人は、これは迷路だとも気づきません。


先ずこれは迷路だと指摘することです。そのときに「いつも自分が間違えていると考える」ことの、間違えに気づきます。ただしそれは習慣化しています。本人にとっては、当然のことになってしまっています。


その人にとっては、もう性格になっています。性格化してしまっています。それが足かせにもなります。だが短絡的に「だからダメだ」と考えたら、そこがゴールになってしまいます。ダメだと思ったら、そこが限界のラインです。カウンセラーは、このことを伝えます。そして励まします。


「ダメだと思ったらダメ」、このように伝えます。ただし軽く伝えてください。親しみ深く、ソフトに伝えてください。そこに信頼感が生まれます。信頼感が最も大切です。信頼を土台としてください。そこから始まります。


「いつも自分が間違えていると考える」のは、信頼感の弱さによります。その信頼感を強くします。それにより、改善を進めます。この信頼感は自己信頼です。そのために他者信頼の確立が必要です。発達論的には「他者信頼から自己信頼」へ進むのです。これをカウンセリングでは、なぞっていきます。


そのプロセスをカウンセラーと行います。それは生き直すとも言えます。生き直しのカウンセリングを行います。生き直し、生まれ変わります。それを人間関係により行います。


それを物語ります。


さらに述べます。